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倉本美津留音楽的プロフィール

1959年 日本国、広島にて血液型AB型として誕生。
1960年 大阪に移住。
1963年 ものごころつくかつかないかのころ、当時ヒットし、後にも先にもアメリカで唯一ナンバー1となった日本の歌「上を向いて歩こう」(SUKIYAKI)を上手に歌う幼児として近所で評判となり金を稼ぐ。
1966年 6歳で初めて作詞作曲する。タイトルは「いつものキミ」。学校からの帰り道、鼻歌で作る
1967年 当時日本でレギュラー放送されていたTVシり−ズ『ザ・モンキーズ』に惹かれ、欠かさず視聴し、西洋ポップミュージックの素晴らしさを感じ始める。
1967年 ビートルズの洗礼を受ける。
11歳 ビートルズが解散してしまったその年、3っつ年上の兄貴が友達からLPヘ イ・ジュードを借りてきた。それを聴かされた瞬間天命的衝撃が走る。
〜まともな音楽教育を受けていない一庶民にすぎなかった奴らが自由に赴くまま の感性のみで世界をかえるほどの音楽を生み出していた事実を知る。既成概念をうち破り続け常に先駆者であり続けたビートルズ。
そんなすごいことが生身の一人間に出来るのだ!
俺も同じ人間だ!
俺にも出来ないはずがない!絶対に出来る!
俺は必ず世界を引っ張っていくミュージシャンになる! と決意する。
1972年 ギターを始める。
13歳 誰かの曲をコピーして練習するのではなく、最初から、歌を作るための道具 として。そして自分の歌を量産しはじめる。
1975年 友人と3人でバンド「株仲間五人組」を結成。
15歳 処女アルバム(12曲全曲オリジナルのデモテープ)を作成。フォーライフ第一回新人オーディションにそのテープで応募するも反応ナシ。自分たちの曲が、先に行きすぎていて時代がついて来れていないと判断し全くへこまず。
1977年 高校の文化祭で学校始まって以来の体育館コンサートを敢行。
17歳 全校生徒が大盛り上がり。客の前で演奏する喜びを味わい味を占めてしまう。因みにこのとき演奏した曲目はとりあえず受けを狙って

1.気になる女の子(メッセンジャーズ)
2.サムシング(ビートルズ)
3.銀の指輪(チューリップ)
4.バック・イン・ザ・U.S.S.R.(ビートルズ)
5.ロング・トール・サリー(ビートルズ)

同年、若くしてこの世を去った天才ギタリスト親友、和気麦太郎などと集まって、何も決めずに好き勝手に演奏したものが偶然テープに録音されていて聴いてみたらスゴイ曲になっていたことから即興のその偶発的素晴らしさに気づき、どんどん曲を録音していき、アルバム(16曲入りデモテープ)を作成。タイトル「11AM」。
1978〜1982年 自分の作る曲をより良く表現するための試行錯誤として様々なバンドを結成したり解散したりを繰り返す日々。一方で、自宅で一人で多重録音しながら(今でいう宅録)、デモ音源を多数温存していく。
1983年 和気麦太郎と徳と戸嶋哲の四人で完全即興ユニットPSYCHO3結成。 ボアダムズに先駆けること10年、アバンギャルドな演奏で関西のマニアックな音楽通 達の間では話題に。
1986年 和気麦太郎、癌のため死去。
1988年 PSYCHOのメンバーの二人に新メンバーを加え『リビドー』結成。
〜関西を中心に精力的にライブ活動を展開。
1990年 KTV深夜番組『すとらんび式』エンディングテーマとして、リビドーの曲「えこひいき」が年間を通して話題に・・・。
1991年 New Year Rock Festivalに関西実力アマチュアバンドとして参加。
1992年 しゃれで「イカ天」に出場し、最優秀ボーカリスト&プレイヤー賞を受ける。
1995年 3月 ニューヨークのライブハウス“New Music Cafe”に、リビドー出演。
  4月 フジテレビのドキュメンタリー番組「NONFIX」に上記のN.Y公演を 中心に60分のドキュメンタリーとして放送される。
  7月 東京ファーストライブ(下北沢251)
オムニバスCDアルバム「バナナでええやん」にリビドーで参加。
1996年 7月 日本クラウンより「オフィーリア」でメジャーデビュー。
作詞:倉本美津留 作曲:坂本龍一
  秋頃 倉本美津留ソロライブもバンドと並行して精力的に行う。
  11月 (〜12月)リビドーの曲「神様のご褒美」がフジテレビの『ごっつええ感じ』のエンディングテーマに。
  12月 フジテレビ『HEY! HEY! HEY!』“誰やねん”のコーナーに出演。「神様のご褒美」を演奏。
1997年 大槻ケンジとのコラボレーション演奏を、赤坂ブリッツのイベントで披露。TBSでオンエアー。
本格的に倉本美津留としてソロライブを行い始める。
  10月 (〜3月)「冬」が『少年サトル』のエンディングテーマに。
作詞作曲 倉本美津留 ピアノ 栗本修
同じく、「しやわせ」がフジテレビ『松本人志の一人ごっつ』のエ ンディングテーマに。
1998年 3月 21日、KI/OON SONYより、倉本美津留として「しやわせ」を発表。
リビドーとしての、バンド活動を休止。
  4月 引き続き、「しやわせ」がフジテレビ『松ごっつ』のエンデ ィングテーマに。
「しやわせ」制作時にアレンジャー長谷川智樹氏と意気投合。一緒にライブ活動を東京をベースにコンスタンスに行うことに。渋谷のクロコダイル、下北ロフト、学園祭など、月1ペースで演奏。曲のクオリティーが上がってくる。
2000年 3月 (5月)原宿ハイパービジョンを利用した生中継ライブを敢行。
  7月 満を持してアルバム制作に突入!
  11月 ロンドンにて凱旋ライブ。その様子がBSフジでドキュメンタリーに。
タイトル「BEATLES FOREVER〜ビートルズの続きを夢見る男〜」。
  12月 8日、ジョン・レノン命日。ファーストアルバム「NINPOP」マスターリング完了!!
2001年 2月 11日、ファーストアルバム「NINPOP」無事 リリース。
17・18日、東京グローブ座のイベント「NIPPON CREATOR SEMINAR SHOW NINPOP」にて、桜月流美剱道宗家神谷美保子女史とコラボレート。
  3月 3日 渋谷タワーレコードにてインストアライブ 。ROLLYとYOUと夢のセッション。
  4月 フジテレビの音楽番組「FACTORY」に出演し、MCの近田春夫氏に大絶賛される。フジテレビ721「Instyle」で奥田民生氏と夢の対談。
「C幼笛」(監督:園子温)のプロモーションビデオを原宿にてゲリラ撮影。
竹下通りを「C幼笛」の渦に。
  6月 映画監督園子温の最新作「自殺サークル」で俳優に初挑戦。「それではみなさんさようなら」が挿入歌をして使われる予定。
24日、再びロンドンへ。

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