ninpop corp.  

2001年01月の毎日殴り書き

2001年1月31日(水)

今日は午前中から会議のある日だ。
イーストという大きなテレビ制作会社の会議室で
二会議こなす。
なんか最近やたらイーストに行くことが多いな。
と、よく考えたら、知らん間にイースト制作の番組
4本もやってた。
イーストには沢山人がいる。
そのせいもあるかもしれないがなかなか優秀なおっさんがいてイイ感じだ。
波多野さんは
オレが知る限りの業界一ダンディーな出で立ちの、クールで懐の深い困ったときはいつも助けてくれる
頼りがいあるプロデューサーで、
オレのわがままなBSビートルズ特番が成立したのも
波多野さんのお陰に他ならないのだ。
梅本さんは
優秀なラジオディレクターから大物タレントのマネージャーに転身した後
その頭の回転と身のこなしの早さでテレビ制作の世界に
華々しくデビューして
たけしさんをはじめ、いろんなタレントさん達から信頼の厚い、
宴会を仕切らせたら天下一品の叩き上げのプロデューサーだ。
因みに梅本さんは名を満といい
ウメモトミツルでオレとかなり近い名前の持ち主だ。
上川ちゃんは
バラエティーからドラマまで幅広くヒット番組を生み出す
オレと同い年で同じ関西人で
前の嫁はんが某有名女優という
どっからみても相当な才人デレクターだ。



その他にもいろんなタイプの才オッサンがいてなかなか面白い会社でいいのだ。
それにもまして、家から近いっていうのが最高にいいのだ!!


2001年1月30日(火)

マネージャーがバリバリやっている。
今日は大阪・名古屋の大型レコード店回り。
一軒一軒回って、担当者に会って、
少しでも沢山仕入れてもらえるように交渉するのだ。
何と地道なことか!?
しかし本当に一歩一歩だがリアルな手応え を感じられる。
今まで経験したことのなかった喜び。
甲斐あって、インストア・ライブが各地でやれそうだ。
どれほどのプロモーション効果があるのかズブズブ素人の我々にはわからないが、
とりあえず店が協力的になってくれている証には違いない。
新宿のタワーレコード、渋谷のタワーレコード、
心斎橋のタワレコードが、 今のところ決定している。
詳しい日時、内容は後日発表しますが、是非のぞきに来てね!

ところで今日の私は今日も今日とて東京でテレビの作家の
お仕事。
スカイパーフェクTVの北野チャンネルの新企画を、
出演する構成者で収録。
ちょっと面白いとおもうよ。
あんまり観たことないタイプのバラエティーを作れそうなので、
でけたらまたゆうわ。


2001年1月29日(月)

最近オレの家は会議室じみていている。
2/17,18と強行決行してしまうグローブ座の
詰めをするために
うちを使っているのだ。
今日も15人ほどの大人達が群れて
ああでもないこうでもないと空気が充満した。
誰に頼まれたわけでもなく
自主的に少しでも良くなればと思う人間ばかりが
集まって意見を戦わせる。
誰も誰に対しても適当な判断で譲っておこうとしない。
時間をかなり要してしまうし
エネルギーも相当消耗してしまう。
日頃お仕事的な会議になれてしまっている人間には
きっと辛い場だろう。
かくゆう普段誰よりも言いたいこと言いのこの俺が
まとめ役になって しまいがちな
とんでもなくピュアな会議である。
ここから何が生まれてどう発展していくのか
今はまだよくわからないが、
とにかく成功しても大失敗しても
グローブ座を乗り越えてみたら
何か見えてくるのだろう。
この途轍もなく健全な集まりの未来にどうかご加護を!!!


2001年1月28日(日)

渋谷のHMVでジョージ・ハリスンの
オール・シングス・マスト・パス
〜new century editionを買ってきた。
30年前に発表されたジョージのソロアルバムの
リフレッシュ版である。
1970年。ちょうどその頃ビートルズに魅入られ始めた
オレが一番好きだったのが
ジョンでもポールでもリンゴでもなくジョージだった。
オレがヒゲと髪を伸ばし始めたのは間違いなく
ジョージの影響でだ。
あんな感じになりたいなと、
思いっきり東洋人顔のオレは無謀にも考えていたのである。
そんなオレは毎月小遣いの全額をつぎ込んで、
ビートルズのLPを一枚ずつ買って行 くことにした。
近所にあったプレハブ建てのちっちゃな
レコード屋に月に一度自転車で向かうときの
あの高揚感よ!!

そのうちビートルズのレコードが揃いソロアルバムの方もと。
気になっていたジョージのソロ。三枚組で5000円・・・
そんな!!
買われへんやん!高すぎて買われへんやんか!!何考えてんねんジョージ!
自慢やないけどウチ貧乏やねん!
結局手にしたのは中1の冬、餅屋で3日間バイトして
初月給手にした その帰り道のレコード屋でのこと 。
それまでの人生の中で一番高価な買い物だった。
大切に抱きかかえて家路をたどったのをよく覚えている。

そのオール・シングス・マスト・パス
(深いタイトルやね。 しかしこの時点でジョージはまだ
20代やぞ。
どんだけ老成しとったんや全く。
まぁあんだけのことした後のことやもんな。
若いウチから人生の酸いも甘いもわかってもうてんやろな)

なんとジャケットに色が差して、
まるで血がかよってきて蘇ったかのような21世紀版!
ジョージ、あいかわらずやってくれるよな〜。
ジョージはジョンやポールに負けないたぐいまれな
才能の持ち主なのである。
その辺のところに言及しだすとどんどん長くなってしまうので、
今日はこのへんにしとこ〜っと。


2001年1月27日(土)

昨日のオレの行動。
ダウンタウンDXの会議。
高須のホームページの対談に協力。
松本紳助の収録。
春からの新番組の会議。
CDプロモーションのための超地道な作業山ほど
なんせ人員2名で
メジャーレコード会社及びプロダクションの何億とかけた
プロモーションに
負けないようにがんばってみなければどうしょうもない 。
等の連日追い立てられているようなスケジュールを
何とか乗り越えて、
がんばってるところを天の上から見て気づいて
応援してやろうと
思ってくれることを期待して。
やるだけやる!!

2001年1月26日(金)

今日はトスポに入る日だ。
2週に1度の木曜日、
オレは合計1時間ほどあいつの内臓に徹する。
え?もう一年以上そんなことやってんのんとちゃうか?
な〜んか最近DX調子ええから
このパターンまだまだ続きそうやなぁ・・・。
案外辛いねんであん中。
まあ、自分で言い出したことやからしゃーないけどね。
この間、大阪にいる兄貴の子供(小学生)らが
「子トスポには誰が入ってるのか」
ということで論議して(笑)
「トスポに入ってんのが博士(甥や姪達はオレのことを
そう呼んでいる)やねんから 子トスポはノンちゃん
(オレの5歳の娘)が入ってんねや」
という結論に達したそうだ 。 
メチャメチャええ動きやで子トスポはぁ!


2001年1月25日(木)

水曜日の仕事初めはいつもHEY!HEY!HEY!の会議から。
ギリギリセーフ(アウト?)で
お台場絶景レインボーブリッジ&東京タワー見放題
12階制作フロアーの 会議室に滑り込む。
いつもの顔が集まってる。
知らぬ間に もう5,6年もこんなことを繰り返している。
「寸止め海峡」のリハーサルが佳境に突入した頃、
水口昌彦プロデューサーがリハ会場に
「番組を一緒にやりましょう」と、
まったりした雰囲気で現れたんやったなぁ。
多分その日や。 コンビニから雑誌何冊か買ってきて
『写真で一言』をやり始めたのは。
そんとき、まさか一年後に武道館でそれだけで
やってまうとは思ってなかった 。
ようやったなぁ。あんなこと。
あれもっと評価されてもええと思うねんけどなぁ。
そういえば、あの時、
写真とSEの出るタイミングをオレ一人で指揮してた。
1万人近くの客に対してあの天才の一言を最高の
テンポで提供しなければならないそんな
途轍もなく重要なポジションをなんとなく当たり前の
ようにオレがやっていた。
いやぁ自分で言うのも何やけど100回全部完璧やったなぁ。
なんか憑いとったんやろ。きっと・・・
書いてるうち話が どんどん色んなとこに行ってまうなぁ。
まあええか。こんなかんじで毎日書いていこ〜っと。


2001年1月24日(水)

「自分で書き換え初めてやります。
先生にゆっくり丁寧に教えてもらいながらドキドキ・・・」
「ようし!書いてみるぞう!!」

『四十にして立つ』とはよく言ったものだ
その言葉を知ったのは多分中学生くらいだったと思うが、
その当時「四〇歳までひとりだちでけへんて、
そらおそすぎんのんとちゃうか?」と、
なんか、特にしっくりこない格言として印象に残っていた。
まあ人一倍増せたガキだった12,3歳のオレだからして、
いっぱしになにか始めて成功する年齢を
18に設定していた節もあり、
そう思うのも無理は無い。
その倍よりも先にある40までスタートできないなんて
「そんなわけあらへんやろ。大昔の中国のことやからちょっと
年齢の捉え方が今とズレとんねやろな。」
と決めつけていたのだ。
ところが!21世紀を40代の始まりで迎えた今、
び、びっくりした!
なんとその通りのことことなのか〜〜〜!!!
自分の本当にやりたいことを本気の本気で
思いっきりやってみようと
やっと思い至って貯金をつぎ込みレコーディングに突入し、
そして発表する2001年2月11日!
私はまぎれもなく”四十おとこ”なのだ!
さてさて。倉本美津留の伝説のはじまりはじまり〜。